大判例

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東京地方裁判所 昭和40年(ワ)5659号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕(一)原告金子宏一が昭和三九年七月二二日原告金子喜男、同晶子に伴われて原告の経営する淡島海洋公園に入園し、同日午前一一時三〇分頃同園内で飼育されていた猿に原告宏一が右手示指第一関節から先をかみとられる傷害をうけたことは当事者間に争いがない。

(二)そして原告は右事故の発生は動物の占有者である被告の過失にもとづくものであると主張し、一方被告は右過失の存在を争うのであるが、民法第七一八条によれば動物の占有者はその動物が他人に損害を加えた場合にはその保管につき過失のないことを立証しない限りはその責任を免がれえないところ、被告経営の淡島海洋公園で右猿が飼育されていたことは前記のとおり当事者間に争いがなく、且つ……によると、この飼育は経営者である被告が入園者に観覧させる目的で行つているものであることが認められるから、被告はこの猿の占有者であるといわねばならない。

そこで先づ被告の無過失の主張について判断する。被告の主張によると、本件の猿には去勢手術が施してあつて性質は温順であり、これを鉄骨製檻を金網で被覆し、その中で保育飼育していたものであるから、この保管方法に手落ちはないというのであるが、仮に本件猿がその性質極めて温順であつたとしても動物の一般的体質からして突発的に狂暴性を発揮し人畜に危害を加える虞が十分にある訳であるから、その占有者はかような事態になつてもなお危険性のないように安全措置を講ずべき義務のあるところ、去勢手術の有無については前記証言によつて必ずしも明確でなく、更にその保管方法については次のように認められる。即ち、……を綜合すると、淡島海洋公園は昭和三九年七月二〇日開園したのであるが、本件事故の発生した同年七月二二日には本件猿の飼育されている猿舎のまわりには柵も完全に出来上つていない状況で、当日午前中からこの柵を設けるべく工事中であつたが昼ごろになつて工事人が柵を完成しないまま、一旦作業を中止して本件猿舎から離れたこと、このため当時の柵の状態は七角形の猿舎のうち少くとも海岸よりの一面の部分は未完成であつたこと、一方猿舎に張りめぐらされた金網も三〇センチ間かくの鉄捧とたて七センチ横一〇センチ(いずれも対角線の菱形)の粗い金網を一重に張つたのみであり、加えて猿が飼育されている旨の掲示は全くされていなかつたことが認められる。右認定事実からすると、被告は本件猿の飼育保管につき事故発生を未然に防止するために通常払うべき注意義務を尽していたものとは到底認められず被告の免責事由は肯認しがたい。

右の次第であるから被告は被害者である原告金子宏一に対しその損害を賠償する責任がある。ところで原告金子喜男同晶子は原告宏一の右受傷により精神的苦痛をこうむつたとして慰藉料各金一〇〇、〇〇〇円宛の支払いを求めているのであるが、本件においては被害者の両親である原告金子喜男同晶子に慰藉料請求権は存しないというべきである。即ち本件の受傷により原告宏一が将来営業を続け更に社会生活を営む上において屡々不自由を忍ばねばならず、このため経済的不利益或いは精神的苦痛をこうむるかもしれないことは後記認定のとおりであるけれども、この傷害の部位、程度からすると原告宏一のうける不利益、苦痛も同人の将来を決定的に左右する程のものとはいい難いことは勿論のこと、本人の意思と努力の如何によつてはこれを克服することも決して困難でないと考えられ、この判断を覆えすにたりる格別の証拠は存しない。とすると今原告宏一が相当額の慰藉料の支払をうけることによりその精神的苦痛が回復されればその両親である原告喜男、同晶子の精神的苦痛も同様回復されるものというべきである。勿論子の受傷にもとづく両親の慰藉料請求権が常に否定されるというのではなく、その傷害の程度が甚しく、死亡にも匹敵する程のものであればたとえ被害者である子が慰藉料を得たとしてもその両親の苦痛は容易に拭い難く(例えばその子が悪性の後遺症に悩みそれが将来も継続するようなとき、或いは自ら独立して生活を営むことが困難な程重い傷害をうけた場合を想起すればこのことは明白である)。このような場合両親は子とは別個に民法第七〇九条、第七一〇条にもとづき慰藉料の請求ができるけれども、本件においては前記のとおり未だこの程度には達していないのであるから原告喜男、同晶子には慰藉料請求権を認める必要はない訳である。

次に被告は原告宏一の親権者である原告喜男、同晶子に本件事故の発生につき過失があつた旨主張する。本件で問題となる過失は慰藉料請求権を有する原告宏一のそれでなく(宏一は受傷当時満三年九月の幼児であつて責任能力は勿論のこと、これよりも程度の低い判断能力も有しなかつたものと考えられる)その親権者として原告宏一を監護する立場にあり、同人に付添つていた原告喜男、同晶子のそれである。ところで民法第七二二条第二項にいう過失は被害者のおかした過失のみを指して親権者その他の監督者の過失は包含しないようにとれなくもないが、過失相殺制度の目的が損害の公平負担ということであることからすると、被害者が判断能力をもたない幼児であつてその行為を法律的に評価する余地がないときにはこれを監護する立場にある親権者に損害の発生及びその拡大につき親権者として当然なすべき注意義務を尽さなかつた点があれば、これをも考慮して右幼児に支払われるべき損害額を算定することが公平の観念に合致するものと解すべきであるから本件においても原告喜男、同晶子の過失の有無につき検討することとする。

そこで本件事故発生当時の状況であるが、右原告両名の各本人尋問の結果によるとつぎのとおりであることが認められる。

原告喜男と同晶子は原告宏一とその姉を伴つて公園に入園後海岸べりの料亭付近をまわつてから海岸に沿つて引き返えし、原告宏一を先頭にその約十数米後方から原告喜男が、更にこれより遅れて同晶子が、いずれも猿舎の方向へ向つて歩いていつたが、本件猿舎付近に近づいたとき原告宏一が海岸からあがつてきた蟹に驚いて猿舎の方向へ向つて約五米ばかり後ずさりし、このため猿舎の柵の完成していない部分を経て原告宏一の手が猿舎の金網に接触した瞬間、内にいた猿が金網付近で原告宏一の右手の手示指(いわゆる人さし指)にかみつき、原告宏一の発した悲鳴に驚いて原告喜男がかけつけて原告宏一の体をかみついている猿を引き離したが、既にそのときはこの右手示指の第一関節から先の部分がかみ切られていたことが認められ、この認定に反する証拠はない。とすると、もし両親が原告宏一に終始離れないように付添つていれば本件事故は未然に防止しえたであろうことは明らかである。しかし乍ら一般入園者に交つて判断能力の乏しい幼児も入園するような遊覧施設に入園した場合において、その幼児に付添つているものはその内部の諸施設が右の幼児などに対しても十分に安全なように設置され本件のような事故の起らないように完全な考慮が払われているものと信頼して入園し、且つこの信頼にもとづいて安心して遊覧するものであり、一方施設の設置者、管理者はこの信頼に応えるに足りる安全対策を講じる義務があるのであるから、本件のような施設の中で親がその子の十数米後方から歩いていくということは混雑その外で子供を見失う虞があるとか、特に危険がある旨警告されている工作物等が付近に設けられているとかいうことのない限りは(原告らが柵の完成していない檻に猿が飼育されていることに当時気が付いていたということを認めるにたりる証拠はなく、外に右摘示のような状況も認められない)ごく通常のことであつて、これを捉えて両親を責めるのは甚だ酷という外はない。ただ、原告喜男、同晶子の各本人尋問の結果によると、同人らは原告宏一の後方にいながら宏一が後退しはじめてから、約五米離れた猿舎に接触するまでの間を見ていないことが認められるので、たとえそれが瞬間的なものであつたとしても、この点において右両名に注意の足りなかつたことは否めない。これに対し被告の過失は前記認定のとおり、かような設備を設置して動物を占有するものとしてなすべき極めて初歩的な注意を怠り、猿舎には四肢の出入が容易にできるような粗い金網を施したのみで柵も完全に出来上らないうちに開園するという重大な不手際を犯したもので、これに対比すると原告喜男、同晶子の所為に全く手落ちがなかつたとはいいきれないとしても、それは被告のそれよりはるかに程度の低いものである。かような事情からすると、本件では原告喜男、同晶子のこの手落ちを捉えて損害額の過失相殺をすることは適当でない。勿論過失相殺における過失は不法行為成立の要件としての過失と異り、単なる不注意の程度でたりるとする説が強いけれども、このことを考慮に入れてもなお本件において過失相殺をすることは相当でないというべきがある。(宮本 増)

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